Photo book. Family (家族: Kazoku)
深瀬昌久『私景─旅の便り』(「日本カメラ」1990年12月号、口絵ノート)
ふとしたしたきっかけで昨春ごろから、自分自身をフレーム・インさせることに凝っている。それは手や足だったり顔だったり街のスケッチだったりするが、すべてうつされた物事は自分自身の反映といえるから「私景」とした。年末の個展は「
深瀬昌久『狂、礼文島。』(「流行写真」1985年8月)
◉こちらを向いて全員笑っている。北海道の北端にある美深町の深瀬写真館で四十年昔に使っていた、ガタガタの八ッ切りアンソニー写真機のピントグラスに、深瀬家一族が逆さになって笑っている。年老いた父母、弟と妹の一家、死んでしまっ
深瀬昌久『歩く眼《二》』(「日本カメラ」1983年11月号)
東京都の5万分の1の地図が壁に貼ってあって、歩いた所を赤いボールペンで潰していく。蛇行する線は川筋で、水源から河口まで長い川もあれば、短い川もあり、今まで12の川を歩いた。「神田川」、石神井川」、「呑川」、「仙川」etc
深瀬昌久『久し振りの多重露光 だが、一回きりにしようと思う』(「カメラ毎日」1980年3月号、撮影記「烏・夢遊飛行」)
かねてから興味あるアメリカ写真家の一人だったJ・N・ユールズマンの個展が、昨年10月に私の母校日大芸術学部で開かれたので見に行った。彼の写真はすべて暗室の合成技術によって作られたもので、私には写真そのものよりも、そのマ
WORKSHOP寫眞學校 入学案内書(1975)
深瀬昌久 世の中シラケて面白くもないので、〝私が写真である、そして世界は写真のように謎に満ちている〟などと面白がって、他に出来る商売もなさそうなので、一生懸命写真をうつしている。 ぼくは田舎の写真屋に生れたために、氷
深瀬昌久『あるばむ』(「アサヒカメラ」1973年9月号、撮影メモ)
北海道中川郡美深町東一条北二丁目二十一番地「深瀬写真館」の長男、昌久三十九歳、父助造六十一歳、母みつゑ六十二歳、今夏七月、家業を継いでいる次男了暉三十一歳の運転で、親子四人水入らず、網走から知床半島をドライブしました。
写真作家シリーズ 深瀬昌久『歩行者天国』(「東京新聞サンデー版」昭和47年4月23日)
見渡す限り人がいます、見渡す限り自動車がいません、ここ東京の銀座通り、お天気のよい日曜日のただいま午後一時ちょっと過ぎ、どの人も、この人もうきうきと、どの店も、あのデパートもうれしそうなのはなぜでしょう? 解答はズパリ