『VICE GLOBAL PHOTO COLLABORATIONS』Diesel Art Gallery, 2013年

世界35都市で展開するグローバルメディア「VICE」によるエキシビションを、トモ・コスガがキュレーション及びプロデュース致しました(2013年11月22日より2014年2月14日まで開催)。
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展覧会のテーマは「アーティスト・コラボレーション」。世界からはキム・ゴードンやロジャー・バレン、サンディ・キム、そして日本からも田附 勝や大橋 仁、KYOTARO、新田桂一、題府基之らが参加。世界でいま最も旬なフォトグラファーと各界アーティストが前代未聞のコラボ・クリエイションを展開しました。また会場では日本人アーティストたちの記録映像も同時上映。本展を通じて、いまだかつてない写真のカタチを提案しました。
本展についてはDiesel Art Galleryの公式ウェブサイトにて詳細をご覧いただけます。
http://www.diesel.co.jp/art/global-photo-collaborations/

デコトラの田附勝、東北の限界集落に自らを「しまう」

Interview and text by Tomo Kosuga
初出掲載:VICE.com日本版 2013年9月


つい先月にも前代未聞の暗黒写真展を開催した写真家、田附勝がまたもやぶっ飛んだことをしたようだ。なんと、秋田県の中央に位置する上小阿仁村(かみこあにむら)の、さらに山奥にある八木沢集落を舞台に、写真展『みえないところに私をしまう』を開催中とのこと。
この写真展、東京から足を運ぶだけで軽く半日はかかる。誰がそんなところまで?という疑問は誰もがまず頭に浮かべることだが、そもそも八木沢集落は「マタギ集落」としても知られる土地なのだ。マタギとは、東北地方や北海道で古い方法を用いて狩猟を行なう人々である。これまで写真集『東北』や『その血はまだ赤いのか』、そしてタブロイド紙『5』にわたって、マタギと向き合って田附なだけあって、この村の訪問には運命的なものを感じ取ったようだ。
今回、秋田から東京に戻ってきたばかりの田附から届いた展示の光景とともに、田附から聞いた本展にまつわる「物語」を紹介したい。

「これは『KAMIKOANIプロジェクト秋田』の一環で……」田附が話を聞かせてくれた。「今年で2年目のプロジェクト。俺は今回、初めて参加した。もちろん村おこしの意味も含まれるんだけど、八木沢集落は今や限界集落。もう20人弱のお年寄りしか住んでないし、若い人が戻ってきて定住しない限り、村として変われる部分はそれほどない。だから俺は、この村が幸であれ不幸であれ、この現状をそのまま見せたいと思った」


田附は8月5日に現地入りした。「最初は上小阿仁村の旅館を提案されたんだけど、そこから八木沢までは車で30分近くかかる。それじゃ遠すぎるし、俺の今までのやり方って『デコトラ』でも『東北』でも〝見てみたい環境にとにかく自分の身を置く〟ってことだったじゃん? だから八木沢に泊まりたかった。それで村の公民館に泊まらせてもらって。毎朝おばあちゃんたちに挨拶して、時には一緒にご飯食べたりもしてたよ」
これまで『デコトラ』や『東北』といったように端的なタイトルが多く見られた田附だが、今回のタイトルは『みえないところに私をしまう』と、なにやら意味深だ。そのワケを訊くと、ひとつのストーリーを語ってくれた。
「展示の様子を見てもらえば分かると思うけど、村に寝泊まりした1週間で色んな人を写した。当たり前だけど、年寄りが多いんだよ。そんな彼らにとって、写真を撮られるのは稀なこと。それこそ昔だったら、写真屋さんに来てもらって撮ってもらうほど貴重なことだった」
「写真を撮らせてくれた人たちにはポラをあげたんだけど、受け取ったおばあちゃんの1人が箱を持ってきてさ。なにが入ってるのかと思ったら、出てきたのは写真アルバム。そうやって写真を大事に保管してるんだよね。それを見て、普段は日の目を見ない人生が〝しまわれてる〟んだなって。それで俺も今回、自分が八木沢を訪れて見たこと感じたことを〝しまおう〟と思ってさ。それでこういうタイトルなワケ」


展示場となったトタン小屋に入ると、中央に座した巨大な老人の顔クローズアップに思わず仰天するが、実は細部にわたって作り込まれていることが分かる。自然豊かな環境だけあって、木々や草花が目立つものの、中でも木々は写真のフレームを超えて繋がり合っていて、なにか超越した生命力が感じられる。これにはなにか意図があるのだろうか?
「八木沢集落にはほとんど人が残ってないんだけど、その反面、木がすごくてね。杉の木。人の住居に近すぎるってくらい、杉が家の周りに生い茂ってるんだよ。だから村の人に訊いてみたら、この辺りでは昔から木を植える習慣があったみたいでさ」

「秋田と言えば秋田杉が有名じゃん? 昔でこそ、木が大きく育てば、伐採して生計の一部にしていたんだろうね。でも今じゃ、それもほったらかし。人が減って、木が増えた。それが、この村の今なんだよね。その木を見てると、それ自体が人間のようにも見えてくるんだよね。木が人間化してるっていうかさ」
「写真を見てもらえば分かると思うんだけど、そういった木に、さらに今度はツルが巻きついてる。人間が持ち込んだ杉の木に、もともと住んでいた自然が対決しているようにも見えてさ。いろいろ思ったよね」

展示会場……というか展示場となった小屋は中が三畳ほどで、1人でも入ればいっぱいになる空間。その小屋を成しているのはトタン板だ。ずいぶん古びてガタガタの状態だが、田附にとってはかえってそれが良かったようだ。「この小屋はトタンで出来てるんだけど、トタンも人間と同じように朽ちていくんだよね。それって、この村にも通じるところがあるんじゃないかなって」

「この展示はこれから1ヵ月近くあるんだけど、誰かが見張ってるワケじゃないし、小屋も隙間だらけ。雨が降れば中の写真も濡れちゃうと思うんだよ。でも、もしかしたらこの場合はそれでいいんじゃないか?と思ったんだ。村も人も、トタンも写真も、みな朽ちていくものなんだってさ。それも含めて写真っていうかさ。そういう展示になればいいのかなって、今回は思ったんだよね」
デコトラ、東北、マタギ、縄文土器と、一貫して日本を写真に投影してきた田附勝。そんな彼が限界集落の村をキャンバスにした結果、生命の栄枯盛衰や悠久の自然、自然と人間、万能に見えて限りある人間の力、そんな状況においてもなお生き伸びようとする人々の生き様が『みえないところに私をしまう』という写真群に刻まれた。
なにかが「朽ちていく」感じにはもちろん経年劣化も含まれるが、時を経なければ出ない「味」というものもある。「侘び寂び」とはよく言ったものだが、日本ならではの美意識に則るなら、田附が本展で見せてくれるのは1つの村の歴史の断片であり、そこには光と闇の両面がある。そのどちらかに寄ることなく両面を露呈させたのが本展なのかもしれない。

思えば「デコトラ」にしても、時代と共にブームは去り、トラッカーたちは苦しい現実と向き合うことになるが、それでも「男」として惚れ込んだ愛車を維持するためにあらゆるものを犠牲にしながら、決して苦労は口にせず、愛車との人生を歩む。一見、新品に見えるデコトラも、パーツレベルでは廃車になったデコトラからの寄せ集めだったりもする。
『東北』にしても、期せずして田附は東北大震災の前後を写真で記録することになった。田附自身、自分が追いかけてきた東北の意味合いがまるで変わってしまったことに震災直後こそは戸惑いを感じていたが、その年にマタギの鹿猟再開を追った『その血はまだ赤いのか』、そして今回の秋田県の限界集落と、継続して現地を追いかけるなかから、なにかその写真に一環して通じるものがカタチになり始めている。

最後に忘れてはいけないのが、これは日本人にこそ見いだせる「日本らしさ」であり、そして目の前の現実を写し出す写真という媒体だからこそ、成し得る業だということ。
「日本」を追い求める写真家、田附 勝。その全貌を解き明かすにはまだまだ時間はかかるだろうが、この男なら一生かけて、その生き様を写真に刻み、そして我々に見せてくれるに違いない。
 
KAMIKOANIプロジェクト秋田2013】
「KAMIKOANIプロジェクト秋田」は、上小阿仁村の最奥地にある8世帯19人の小さな集落「八木沢集落」を主たる舞台として、そこに古くから伝わる伝統芸能、マタギなどの狩猟文化、祭事、食文化、生活文化など、地域固有の資源を最大限に活用しながら、現代芸術の新しい表現と結び、美しい山々が織り成す里山全体を文化芸術空間として創造していくプロジェクト。
http://kamikoani.com/

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田附勝公式サイト
http://tatsukimasaru.com/

【VIDEO】The Art of Taboo: 任航(レン・ハン)

中国は北京在住の27歳、写真家・任航(Ren Hang)。彼が繰り広げるヌードフォトには、常に中国当局の監視がつきまとう。写真展の検閲、撮影中の逮捕劇、ウェブサイトの強制閉鎖……。それでも彼がヌード写真を続けるのは、ひとえに彼の下を訪れるモデル志望の若者たちが絶えないことも挙げられるかもしれない。
抑圧の中においても自己表現を求めて止まない中国の若者たちの姿、心境、そしてその証言を映像に収めるため、VICEは今回、中国は北京市にある任航の自宅を訪れた。そこに待ち受けていたのは、決して狭くはない室内を埋め尽くすフレッシュな北京女子たちの生き生きとした姿。かくして、任航による現実を超越した撮影が幕を開けた。
もちろん任航が語ってくれた話も今後、貴重な証言となるだろう。中国国内におけるヌード表現はいかなる状況にあるのか? それでも任航が続ける理由とは――? 透き通った眼差しの奥底に潜む、若き中国人の生き様に迫る。

The Art of Taboo: 任航(レン・ハン)

Text by Tomo Kosuga
[初出掲載:VICE.com日本版 2013年9月]

話は唐突だが、たとえばキミが中国を旅するとしよう。そしてうっかりしたことに、手元のiPhoneに〝日々のエクササイズのための参考動画〟を仕込み忘れてしまう……。これは相当、深刻な事態だ。ましてやそれが1ヵ月以上の長旅なら、もう最低だ。
Copyright © Ren Hang
なんたって中国でポルノは、この世に存在しちゃいけないモノ。手に入れようと思ったら、それこそイバラの道が待っている。本屋やコンビニを漁ってみても、肌色を含んだ本なんてファッション雑誌が関の山だ。レンタルビデオ屋を探してみたところで、そもそもコピー文化がお盛んなこの国で〝映画を借りる〟なんて概念はまるで浸透していない。
最後の頼みの綱は、恐らくネットだろう。しかし中国のネット検閲は現実以上に厳しい。政府が設けた60以上の条例に従って24時間体制でフィルタリングされており、日本のサイトはおろか、海外の〝大人向け〟サイトなんてアクセスした瞬間にエラーメッセージが表示される始末。自慢の「〈Xvideos.com〉クラウドブックマーク」も、この時ばかりはタイタニック号よろしくネットの大海の奥底に眠ってしまって手が届かない。
要するに、中国でポルノはタブーだ。それはもう、国を挙げて取り締まっているレベル。もちろん本屋で成人雑誌は売っていないし、AVを販売・レンタルするような業者もいない。
ここまでの経緯をよーく理解してもらった上で、是非とも紹介したい中国の写真家がいる。任航(レン・ハン)と名乗る彼は、ヌードを題材にした写真作品を製作する27歳の北京人だ。

詩人としても活躍するレン・ハン。周りの友達やネットで集めた若い子たちをモデルにしたヌード写真を撮っている。その作風はというと、例えばトマトケチャップをかけた〝ソーセージ〟をパンに挟んだり、その〝ソーセージ〟にフォークを突き立てたりといった、まるでテリー・リチャードソンを彷彿させる過激な局部ネタもあれば、まるで白昼夢でも観ているかのような素晴らしいロケーションにあり得ないシチュエーションでハダカが立ち並んだ幻想的なモノもあったりと様々。

Copyright © Ren Hang
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〝レン・ハン イリュージョン〟とも呼べる無限のアイデアには誰もが驚嘆するものかと思いきや、中国内では過激な側面ばかりが人々の関心を集める様子で、中国当局から幾度も検閲を受けてきた。個展の大半は公開前に検閲に引っかかり、撮影現場では逮捕劇が繰り返され、彼のウェブサイトはたびたび強制閉鎖されてきたといったように。
ここで1つの疑問が生じる。確かに中国でポルノはタブーだ。しかしレン・ハンの写真は明らかにポルノじゃない。ではなぜ、彼のヌードはそこまで中国当局を刺激するのだろうか。
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「人体艺术」という言葉がある。日本語に訳すと「人体芸術」。いわゆる人の裸体を〝アーティスティック〟に写したヌード写真のことだ。本屋はもちろん、ネット検索においても「人体艺术」は中国で重要なキーワード。つまり鼻の下を伸ばした男たちが、さも高尚な眼差しで人体芸術(という名の裸体)を眺めては「素晴らしい芸術だ!」と興奮しながら写真集を買っていくワケ。
そういったタテマエがちゃんとあれば、或る程度は目をつむってもらえる。というのも、世界一の人口数を誇る中国であらゆる犯罪者を捕まえようとしたところでとうてい叶うハズがないからだ。他にも例えば、あたかも富裕層向けに作られているかのような男性ファッション誌が実はゲイをターゲットにしていたりも。
とにかくこの国ではタテマエが欠かせない。それなしで真っ向から立ち向かおうものなら、時に国家を敵に回すことだってある。

アイ・ウェイウェイ氏による写真作品「1匹のトラ、8つの乳房(One Tiger, Eight Breasts)」2010年

今から遡ること2年前。中国の現代アーティスト、アイ・ウェイウェイ氏がわいせつ罪の疑いで当局に取り調べを受けた。コトの発端は、アイ氏とそのファン女性4人が裸体で写り込んだ写真作品だ(上の写真を参照)。
仲睦まじく笑顔で写り込んだ彼らに性的関連性はまるで感じられず、まず思い浮かぶのは「解放」とか「平和」といったキーワードだが、当局はこれを「ポルノ」と指摘。これにはアート愛好家たちも黙っていられず、まもなくウェブサイト〈艾未粉果 Ai Wei Fans’ Nudity —— Listen, Chinese Government: Nudity is NOT Pornography〉(中国政府よ、聞いて欲しい。ヌードはポルノじゃない)という抗議活動まで発生。その扱いの如何について、海を越えて世界で多くの議論を呼んだ。
アイ・ウェイウェイ氏やレン・ハンによる写真作品と「人体艺术」を比較してみよう。果たしてどちらが異性を刺激する性的表現だろうか、どちらが真の意味で「芸術」だろうか。一個人の目線から見たらごくごく簡単なこの線引きが、どうやら国レベルでは真逆らしい。
あるいは当局にとって「卑猥」かどうかはさほど重要でなく、得体の知れないモノは「脅威」であり「挑発的」に見えるのだろうか。
Copyright © Ren Hang
実際、レン・ハンの写真は狂おしいほどに独立的かつ独創的、フレッシュで輝かしい。日々の生活を堅苦しく縛り付ける社会のルールがどうでも良く感じられるほどに美しい。レン・ハンの指揮によって繰り広げられる筋肉の即興パフォーマンスは、時に個と個の境を曖昧にすらしてしまう。
その末恐ろしい想像力は「脅威」かもしれない、「挑発的」かもしれない。しかし、決して反社会的なモノではない。むしろ中国の人々、ひいては世界の人々に「生きる歓び」を与えるような、希望に溢れる「可能性の花」だろう。
Copyright © Ren Hang
得てしてタブーに挑むモノは、自ずと問題提起を孕んでいるものだ。そして、非力なものだ。といいつつも、潰すのが簡単そうに見えて、一度生まれた波はそうたやすく止まってくれない。レン・ハンの場合、シンクロの波は無限の可能性を秘めた中国の若者たちへと着実に伝染している。それは、彼の下にモデル志望者からの連絡が途絶えないことからも把握できる。任航と書いて「舟任せ」といった名のレン・ハンだが、その舟はもしかすると中国の若者を乗せるほど巨大な〝箱舟〟なのかもしれない。
中国のタブーを追いかけて私が出会ったのは、解放とは程遠い国で毒々しいほどに真実を解き放とうとする美しい若者たちの健気で真っ直ぐな姿だった。