大橋 仁、人類の明るい繁栄のため全財産をはたいて酒池肉林を撮り収める。

写真集『そこにすわろうとおもう』より

——大橋さんの最新作『そこにすわろうとおもう』。ここまでの話の流れを踏まえると、その根っこにはやっぱり真面目な議題があるってことが分かる。でもこの本を一見しただけの人にとっては、勘違いもあり得るワケで。もっと素直に表現すればいいのにって思いました。だから大橋さん、天の邪鬼だなぁって。

大橋 仁:これがさ、最初に明確な設計図を立てたうえで撮ってたら、そういう試行的ないじわるとかも考えられるのかもしれないよ? けど、オレの場合はホントに欲望のままなのよ。
——あー、善悪がないタイプ。
ないの。もう赤ちゃんがやったと思って。なにも考えてない子どもが、バブーって言いながら撮っただけの話。だから人によっては〝最初に自殺、次に出産、今度は性・肉・塊。もう、死から再生へ! 命がどんどん膨らんでっちゃう!〟 って感じに、今までの3冊の流れをストーリー仕立てに捉えるかもしれないけど、オレにとってはあくまでも自然な流れで出来上がった3冊であって。
計画的なものじゃあないのよ。カレー食ったあとはラーメン食いたい、そのあとはスシ! みたいなのと一緒よ。自然な欲求の流れに身を任せてるだけで。学校の給食みたいにメニュー決まっちゃってたら、ヤル気なくなるじゃん? 欲望がなくなるっていうかさ。
——写真行為が作業になっちゃう。
そうそう。オレは作品でそういうことやるのが1番嫌い。ただ、2冊目からの傾向がひとつあってさ。さっき解剖学って言葉が出てきたけど、〝学〟って〝情〟の真逆のものじゃない? 数字による統計だったり、ひとつのシステムっていうかさ。人間の感情とはまるで違う、クールな部分。オレはそういう部分を自分の写真集に残したい。
だから2冊目じゃ10人の妊婦を撮ったんだけど、それは1ケタだと私小説になっちゃう感じがしたからで。でも2ケタ撮ると、それは統計学っていうかさ。実際、2ケタがオレの限界だったんだけど、理想としては1万人できたら、立派な医学書になるよね。ただ自分のなかのロマンチックな感情に浸って撮る、ってのがどうにもこうにもムズがゆくて。自分の感情も立ち入れないような冷たい部分、それを写真に残しておきたくなるんだ。

——それで今回、こうなったと。

そういうこと。やっぱさ、1組の男女の性行為じゃ私生活に過ぎない。人っていうより、人間っていう生き物を撮ろうと思った時、どうしても数が必要だった。

——だから大橋さんの写真は冷たいのか。大橋さんの被写体って、常に汗ばんでたり〝肉〟っていう熱気が篭もってるけど、実はかなり離れた距離からの目線というか、精神性だったりもして。被写体の扱いも突き放してる感があるし、すっごく冷めてる感じ。

決して自分でコントロールできてるワケじゃないけど、情と無情みたいな両極端の性質を突き詰める傾向はあると思う。だから今回も、解剖学的な〝人間とは?〟みたいな、肉としての、細胞としての〝ニンゲン〟をツンツンしたくなった。もちろん現場で高ぶるものはあったものの、感情的なものは排除したかったんだよね。
でも本としてひとつの形にするには、それだけじゃつまらなくなった。だから自分の私生活の、感情的な部分も出したくなって。それらが光と影みたいな関係になってくれたから、本も少しは立体的になったかもしれないね。