大橋 仁、人類の明るい繁栄のため全財産をはたいて酒池肉林を撮り収める。

ohashi-q-1-4

——3.11は日本の写真家にとってもターニングポイントになりましたね。昔からあの地を撮り続けてきた写真家は別として、それまで関連性のない写真家たちまで、あのタイミングでドカッと現地入りして。なかには大御所もけっこういたりして、アタタター!みたいな。

「たとえば、荒木さんは行かなかったよね。昔、写真雑誌〈deja-vu〉に〈deja-vu bis〉っていうタブロイド版があったんだけど、そこで荒木さんが(ヴォルフガング・)ティルマンスと対談してたことがあったのね。で、うろ憶えだけど、ティルマンス曰く、ドイツで東西のカベが崩れた瞬間に自分は立ち会ったと、世界が大きく変動していく事を肌で感じたと。すごくいいこと言ってるワケ。それに対して荒木さんは一言、『うるせー!』だからね。『世界だなんだ言ってないで、まず自分の隣にいる女を愛せ!』って。ティルマンズ、『……』みたいな。

どっちも間違ってないと思うんだけど、オレは自分に近いところに行くのが正直なところかなと思ってるから、写真のテーマってなると、自分自身やその周辺のことになるよ。なにせオレ自身が人間だから。情とかストーリーだけじゃなくて、自分の生態やルーツ、欲望の根っこを知りたいし、見てみたい。そうなるとやっぱり、単に日記的なものを写真にしていくだけじゃ、とても見きれないんだよ。

いま、アート寄りに振れちゃってる写真家がものすごく多いでしょ。そうすると写真家は、人を撮ることから離れていく。今回の本の帯は荒木さんに書いて頂いたんだけど、荒木さんは『これが現代アートだ』って言い切ったから。アート寄りの写真に対しての痛烈な皮肉を込めてね。で、めくったら、酒池肉林の大運動会なワケですよ!

ohashi-q-1-4-2

——こりゃあ、正統な後継者だ。

いやいやいや、なんて大それたことを! 全くもって、とんでもない。でもさ、このままいくと自分の考える写真文化はどんどん薄っぺらになると思うんだ。それか、みんな元の写真の原点に戻っていくか。オレ、別に〝写真文化を残そうの会〟じゃないけどさ。カメラを持って見ず知らずの他人にいきなり迫って、それを写真に残す。それだけで1枚の作品になってしまう。そういう力を持ってるのって、写真だけだよね。

写真でしか表現できないカタチが厳然とあって。それって、ハダカでぶつかっていくことでしか得られない。自分みたいなバカがカメラ1個を持って、町をフラついて。そして色々考えずにシャッターを押す。反応だけで押す。それだけでいいっていう。あのロバート・フランクだってずっと路上で人を撮ってたでしょ。カメラひとつ、身ひとつでいく。それでいいじゃないかと思う。