塚本晋也

Interview and text by Tomo Kosuga
日本政府が〝クール・ジャパン〟なんてキャッチコピーを打ち出してコンテンツ産業を海外に売り込もうとしているのは最近の話だが、そもそも日本人の創造力は〝クール〟の垣根を超えた先の、世界的にも突出したドロドロした超妄想力をエキスとしている。だから〝クレイジー・ジャパン〟と呼ぶくらいがちょうどいい(心のなかでは〝クレイジー・HENTAI・ジャパン〟と叫びたいところだが、まあ良しとしよう)。
で、実際にクレイジー・ジャパン代表として挙げられる人物を考えたとする。色々なクリエイターが思い浮かぶと思うんだが、そのうちの1人として、或る映画監督が浮上するはずだ。
中学時代に自主映画を製作し始めたその男は、いかなる時も8mmカメラを握りしめながらすくすくと成長。そして28歳で生んだ映画がその後の人生を決定的なものにするばかりか、名だたるクレイジー・ジャパンのなかでもカルト的な人気を博すことになるーー。男の名前は、塚本晋也。そしてその記念碑的作品こそ『鉄男』だ。
1988年のローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリをみごと射止めた映画『鉄男』が塚本にとって特別な作品であることは、続く第2作『鉄男II BODY HAMMER』の公開が証明している。そんな『鉄男』が誕生20周年を迎えた今年、シリーズ第3作となる最新作『TETSUO THE BULLET MAN』がついに発表された。
8ヵ月ものあいだ水面下で製作されてきたその新作と、ヘビ好きなオレが愛して止まない『六月の蛇』を中心に、プライベートでの変化が作品におよぼす影響や、監督は果たしてSなのかMなのかといった素朴な疑問まで、憂鬱な雨が降り注ぐなか、ジットリとした愛のある話を隅々まで聞いてきた。
——はじめまして。……塚本さん、とても疲れてそうですね。連日の作業、お疲れさまです。 
塚本晋也:いえいえ、そんなことありません。いつもこんなカンジなので。新作の編集をずっとやっていたのもありますが、最近そのほとんどが終わりまして。いまは、画のクオリティを上げるために画の調子をいじったり音楽を決めたり、効果音を作ったりしているところですね。
——ではその新作について、簡単に教えてもらえますか。
いま作っている新作は、『鉄男』シリーズの3作目となる『TETSUO THE BULLET MAN』です。一見すると過去の作品『BULLET BALLET』に近いタイトルですが、これは〝弾丸のようにスゴい速さで弾け飛ぶ〟という意味にちなんでつけただけなので関係はありません。そして過去の『鉄男』2作と同様に、今作も製作/監督/脚本/撮影/編集を自分が担うという手法で作りました。『鉄男II BODY HAMMER』も『鉄男』の続編ではありませんでしたが、今回の『TETSUO THE BULLET MAN』も同様に全く新しいストーリーとなっています。撮影は東京で行ないましたが、セリフは全篇英語、主役もアメリカ人男性が演じています。そして僕自身も、『鉄男』2作に出てくる〝THE GUY〟という役で今回登場しているんですよ。
——監督の作品を振り返ると、2000年以前では〝人と機械、都市と肉体〟とうテーマで掘り下げられていたのに対し、以降の『六月の蛇』や『ヴィタール』ではまるでテーマが変わったように見受けられます。そうした変化を踏まえると、今回の新作はどういうベクトルにあるんですか? 
その頃の時期を境に、僕の興味の矛先が〝外側への興味〟から〝内側への興味〟へと変わっていっているような気はします。たしかに以前の作品では〝肉体となにかとの関係性〟だったのに対して、『六月の蛇』では肉体そのものが持つエロスを扱い、『ヴィタール』では〝肉体の内部を探ってみるとナニがあるんだろう?〟といった問いかけでした。だけどその辺のテーマでなにかこう、ガッチリと掴め切れていないような、悶々としたカンジがまだ残っていて。なので今回の新作は、その〝悶々〟の集大成のような作品にしたつもりです。それに加え、僕がこれから先突き詰めていこうとしている新しいテーマもほんのり入っている。そんな感じですね。
——監督の作品の特徴のひとつとしてアフレコが挙げられます。それは現場で音を犠牲にする代わりに画を優先するためですか? たしかに同録だと、せっかくいい画が撮れても音がうまく録れないせいでNGになることが多いと思います。
そうですね、主にそれが1番の理由です。それから、映画製作を始めた当初はアクション映画ばかり撮っていたんですけど、アクションって1つひとつのカットの尺が短い。だからそれぞれに時間をかけすぎるよりは、後で一気に録音した方が手っ取り早かったというのはありますね。その後に関しては、演技を必要とする映画を作っていくにつれて同録の良さを感じるようになったのもまた事実で。それぞれの良さがあるということでしょうね。それでも僕の場合、どちらかというと画を重視したり、作品に命を吹き込み直すという意味合いでアフレコを利用していると言っていいと思います。
——普通、現場での同録が困難なときに止むなくアフレコを使うものですが、監督はそれを意識的に用いることで独特の世界観を成立させてもいますね。
やはり、昔からその手法に慣れているのが理由のひとつですね。それから僕は、本来役者でない人を抜擢することが多いため、現場ではとにかく演技に集中してもらう。そしてアフレコの時、録音に集中してもらいたい。それも理由のひとつかな。それから、子供時代に観た映画やテレビにアフレコの作品が多かったのもあると思います。当時の『ウルトラQ』はヘタなアフレコで録音されてましたけど、当時はそれが当たり前。日活ロマンポルノを代表する神代辰巳監督の映画でもアフレコを特徴として挙げられますが、それなんてもう、口の動きが全然合っていない。でもそれが面白かった。まるでアフレコでは、現場のセリフと全然ちがう内容を言っているんじゃないかと思わされるような、まさに〝新しい命を吹き込み直したかのようなアフレコ〟 。僕はまだまだそんな境地まで達していませんが、いつかはそんな作品をやってみたいなと思っています
——いま考えると『ウルトラQ』のオーブニングはトリップムービーでした。そういう意味では『電柱小僧の冒険』や『鉄男』に見られるような、コマ撮りのカットを小刻みに繋げたシーンはトリップ感満載で『ウルトラQ』との共通点も感じます。
自分はドラッグをやらない前提で作品を作っているので分からないことが多々ありますけど、確かに『鉄男』はアメリカじゃ〝ドラッグでキマる時に効果的な映像〟だったみたいで。『鉄男』の最後の方って、延々とグチャグチャ戦っているだけじゃないですか。それを観ながらドラッグでキマる人がいたっていうのはたしかに自然な流れだったのかもしれません。でもドラッグでキマッた時に見える映像というのが僕には分からない。だから1度、その類の本を調べたことがあって。そしたら〝後遺症も残らず面白い映像が見えるようなもの〟について色々紹介されていて。だけど試した経験はありませんね。僕にとっては、正常な状態で感じられる面白いものをいかに面白く作れるか、というのが課題でもありますから。と言って、クソマジメにそう考えているワケでもないですけどね。

映画『鉄男』より

——それでは次に『六月の蛇』について。タイトルに〝蛇〟とありますが、実際にはヘビが出てきませんね。

この映画の中でのヘビは、心の中のウネウネを表わしているんです。『六月の蛇』に出てくる生き物といったらカタツムリですけど、だからと言って『六月のカタツムリ』ではそのまますぎるので。それからヘビは女性のなかに潜んでいる生き物でもある一方、男性器のようなイメージでしょう?
——『六月の蛇』では、写真行為(カメラとストロボ)も男性器の象徴として映っていました。写真家の荒木経惟さんは「カメラは男根だ」という名言を残していますが、劇中にそうしたモチーフを挿入したのは、やはりヘビ的な意味合いから?
その点に関して言うと、 AVでハメ撮りしている人がハメ撮り方法論について書いたエッセイというのを参考にしたんです。そこには「女性を官能に至らすにはデッカいカメラとデッカいストロボで撮ること」と書いてあって。いくら性能が良くても、小さなカメラじゃ軽いシャッター音しか鳴らないでしょう? それでは官能感がなさすぎるということで、 ボカーン!とデカいカメラで撮りながら脱がしていくのがイイと書いてあって。僕もまったくその通りだと思い、以前からカメラを題材として扱いたいと思っていたのもあって、〝写真を生業にしたかったものの叶わなかった男〟というキャラクターを映画に出してみたんです。
——『六月の蛇』で監督はストーカーの役を演じましたね。そしてヒロインを写真行為で追いつめていく。一見するとドSな男ですけど、人をキズつけつつも最終的には自分が1番キズついていく。あの映画で最も報われないのは彼だと思うんです。それから別の作品『東京フィスト』でも、監督の実の弟さんを劇中におけるライバルとして登場させ、弟さんの役に自分のオンナを奪われるというシナリオでしたね。監督って、実はSに見えてかなりのMじゃないかと。
なんとなく雰囲気はそっちの方が合っているかな。中学生の頃から自分ではM寄りだと思う一方、映画の中ではどちらかといったら〝Sの役を演じつつもMのキモチを味わう〟といった倒錯したケースが多いんですよ。だから、握りコブシを振り上げて「オレはSだぁー!!」というカンジの人間ではありません。だからといってSMクラブに行ったことがあるワケでもなくて。逆に行かない分、映画でその想いを爆発させているというのはあるかな。
——『東京フィスト』で主人公扮する監督が血だらけになりながらコンクリートのカベにドツくシーンがあって、そこで奥さん役が「コンクリ相手じゃ、あんまりだろ?」と言って監督の顔をしこたま殴りますね。あのシーン、いつも最高にウットリしながら観ちゃいます。ああいうヘンタイなシーン、大好きです。
(笑)僕の場合、そういうのは実生活じゃありませんね。あくまで作品で出すだけで。アタマの中ではヘンタイだったりするんですけど、実生活は意外とノーマルなんです。もしそういうことが出来ていたら、作品なんて作らずに済んでいたかもしれませんね。
——『六月の蛇』の前後でお子さんが生まれたと聞きました。それはひとえに、2000年を区切りに変化している監督の作風にリンクするようにも感じられます。私生活の変化が作品にもたらした影響は無視できなさそうですが。
それはあるかもしれません。最近でこそ穏やかな生活を送っていますが、それこそ20代の頃なんてマグマの噴出というか、そういった感情がウズウズと出まくる毎日でした。でも、子供が生まれてからは考え方も相当変わったと思いますね。変わるだろうと予測していたというか、自分から変わりたくてずっと子供が欲しかったんですけど。例えるなら、自然を手近に引き寄せたいといった感じでしょうか。そしたら、モロにそういうものがやってきた、というか。それこそ、台風や暴風雨が吹き荒れるといった大自然がいきなり目前に現れて。でもそれは、望みが叶ったんだから文句はないでしょ?という感じの大嵐なんですけどね。
——つまり、それまでの監督が〝機械〟で、お子さんの誕生が〝自然〟。その2つが出会うことで均衡が生まれたと。それってなんか『双生児-GEMINI-』や『六月の蛇』のテーマに近くも感じますね。
『六月の蛇』は最初こそ、邪悪な悪魔のようなストーカー映画を作るつもりだったんで。だけど、段々と変わってきて。その時期に結婚して子供も産まれる直前だったうえに、母が病弱になったりもして。そういった身の回りの変化が影響した可能性はありますね。だけど、いくら私生活で自分の母親が病弱になったからと言って、病気の母を救うストーリーを映画にしても、自分はそこに調和感を感じることはできない。だから、どちらかと言ったら『悪夢探偵2』のように、観客から「なんの救いもない話だ」と言われるような作品を作ってようやく自分の中で調和が取れたりもしますね。そこが面白くもあり、難しくもあるんですよ。
——しかし今回の新作は『鉄男』シリーズということもあって、原点回帰と言いますか、昔のテイストを復活させての公開、という感じでしょうか。
そうですね。子どもも大きくなってきたし、そろそろ昔の自分に戻りそうな予感はあります。ここ数年は〝自然〟とお付き合いしてきたけど、そろそろそれもカラダから離れ、また都会のドロドロへと戻る時期なのかもしれないってことですね。「あー、自然は良かったぁー」みたいな。アフリカ旅行へ行ったわけでもないのに、自然を十分味わった感じです。そういう意味で新作を振り返ると、自然を見ちゃったことによる丸みも感じられる一方で、これから僕が向かうべき新たな方向も出ていると思うので面白いと思いますよ。でもそれとは別に、壮大な自然の映画もいつか撮ってみたいですけどね!
VICE MAGAZINE FILM ISSUEにて掲載

めくるめく血みどろのスナッフ・ワールド

Interview and text by Tomo Kosuga

portrait_hideshi_hinoその昔〝スナッフビデオ〟と言えば、都市伝説の最たる例のひとつだった。いわゆる、娯楽目的で流通する殺人ビデオってヤツだ。誰もその実物を観たことはなかったものの、その存在だけはまことしやかに囁かれた。とりわけ憲法第9条という巨大な南京錠によって外部の悪魔どもから守られたこの日本において、その平和さゆえに鈍った本能を取り戻すべく、日本人がスナッフの存在に魅了されるのもムリはない。しかしそうした期待とは裏腹に、スナッフビデオが世に出回ることは1度もなかった。

時代は遡ること、1985年の或る日。ホラー漫画家、日野日出志のもとに1本のビデオが届いた。そして、それこそ1人の男が女の子をコマ切れに切断していくという内容の、まさしく一部の現実主義者によって待ち焦がれていた残虐スナッフビデオだった! それを再現VTRとして、日野自ら監督となって撮影したのが『ギニーピッグ2 血肉の華』(以下『ギニーピッグ2』)だ。今回、ホラー漫画の巨匠でもある日野のもとを訪れ、その素晴らしい漫画作品のことではなく、この『ギニーピッグ2』と本当にスナップビデオは存在したのかなどについて、しつこく質問攻めをしてきた。

——初めまして。日野さんは『ギニーピッグ2』の監督である前に漫画家として有名ですね。漫画と映像、このふたつがどう日野さんに関連してきたのか、そのきっかけを聞かせて下さい。

日野日出志:高校1年までは映画監督になりたいと思っていたんです。だから授業中に先生の目を盗みながら、芥川龍之介の小説『地獄変』や、自分の好きな映画の絵コンテを描いていましたね。ただ、当時は高かった8mmカメラを買うことはどうしても出来なくて。それでフラストレーションが溜まっていたんでしょう。
それで或る朝、友人が紙の束をドカッと僕の机の上に置いた。それがマンガだったんです。「なにコレ?」と訊くと、「キミはこういうのが好きそうだから」と言うんですね。それは彼が自分で描いたものだったんですが、それなりに描き慣れていて絵もウマかった。それを読んでいくうち、 そういえば自分も子どもの頃によく描いてたっけと思い返して。映画とはちがい、マンガならすぐに作品が出来上がるでしょう? そんなワケで 、マンガを描いてみるかとなったのがきっかけでした。

——たしかに映画でいう絵コンテはマンガそのものですね。

そうですそうです。映画に比べたら、手っ取り早く作れるしね。紙と鉛筆、それからインクとペンさえあれば出来ちゃう。マンガも奥が深いですから、すっかり虜になっちゃって。それがきっかけで、大学にも行かないことにしたんです。

——では、再び映画に回帰することになったきっかけは?

まず『ギニーピッグ2』の前には当然のことながら『ギニーピッグ1』があって、それは別の人が撮ったんですね。その製作陣に私のファンがいたみたいで。それでプロデューサーが私のところに来た。私はマンガ家だからストーリー物を撮ってみたいと思いましたが、彼らはこう言うんです。「予算もないから、撮影場所も1ヵ所に絞って長回しで撮って欲しい」と。そうした制限下でどんなものを撮れるか考えたんですが、当時の日本ではスナッフが都市伝説として騒がれていましたから、それをテーマにしてみようと。ただ、そのままストレートに描いたのではツマらない。そこで、ひとつの設定を設けたんです。 〝或る日、アタマのオカしいファンが私に8ミリを送りつけてきた。その内容がスナッフだった。それをそのまま公表することは出来ないので、私が再現映像を作る。それがこのビデオだ〟 とね。とにかくテーマや主人公の心情などを抜いてしまうことにしたんです。これが初監督作品だったし、周りも若い連中ばかり。そんな状況でストーリー性の強い作品を撮るとなると、必然的に安っぽくなってしまう。だから逆にそういった要素を一切省くことにしたんです。

——えーっ!! じゃあやっぱりスナッフビデオは存在しなかったんだ……(メチャクチャ残念でこの先の話を聞く余力もなくなっちゃったけど、がんばって続けよう)。先生のマンガではストーリー性が重要な要素なのに対し、『ギニーピッグ2』はストーリーのない〝映像〟。だいぶ思い切りましたね。

この作品に関しては、物語性やテーマ性を抜くことに意味があったんです。でも逆に、当時はそれが問題になってしまったようで。ホンモノのスナッフに近くなりすぎてしまった。当時、ジャーナリストの木村太郎がテレビのニュースで、映画評論家の水野晴郎に「こういうビデオは世の中に必要でしょうか?」と訊いていました。すると水野晴郎は「まったく必要ないですね〜、ハリウッドのホラー映画には必ずテーマがありますから」とかなんとか言っていましたよ。そんなの分かっとるわ! 冗談じゃない、ハリウッドのホラーにオレのホラーは負けないわ! それが狙いなのに。 ガキみたいなこと言ってやがんな、と思いましたよ。

——このビデオがレンタルビデオ屋に置かれているのを見たことがありますけど、たしか既に発禁物なんですよね?

まだありましたか! 『ギニーピッグ2』は本来、全て回収されているハズなんですよ。当時、日本全国の教育委員会があれを観てマズいと思ったらしく、全部回収されてしまったんです。私にしてみたら、そんなのは 〝してやったり〟 ですけどね。そういう風に、日本でならまだしも、欧米でも話題になるとは思ってなかった。アメリカではDVDも出ているし、欧米のホラー業界でこの作品を知らない人はいないみたいで。スペインのサンセバスチャンで毎年開催されている《ホラー映画祭》にも一昨年ゲストとして招かれ、『ギニーピッグ2』の上映会をしたんですよ。
ビデオ『ギニーピッグ2 血肉の華』より

ビデオ『ギニーピッグ2 血肉の華』より

——主人公の殺人鬼がカブトを被っているのを見て、むしろ海外を意識して作ったのかなと思ってました。

そういった意図は全くありませんでした。というのも、殺人鬼役の役者に動きのテストをさせてみたところ、どうも存在感がないんですね。それでどうにか特徴をつけようと思い、カブトを被せてみたんですよ。そして魚屋さんのゴム製エプロンを着せ、口には口紅を、頬には白粉(おしろい)を塗った。ただそれだけですね。

——海外のWikipediaには、主人公は日野日出志本人、と書かれてました。

私は出てませんね。何年か前にアメリカでマンガを14冊ほど出版したんです。それが出たら、世界から取材が殺到したんですよ。カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ブラジル、メキシコ……。そしてインタビューの時に必ず『ギニーピッグ2』について訊かれる。欧米じゃ、チャーリー・シーンがこのビデオを観てホンモノのスナッフだと思い込んでFBIに通報した、なんてウワサが一時期話題になったみたいで。それで、私のマンガが海外で出るまでは「Hideshi Hinoは何者なんだ」とウワサされていたみたいですね。そういった経緯もあって、そんな誤解が生まれたのかもしれません。

——チャーリー・シーンの通報について、もう少し聞かせて下さい。

海外からの取材でもまず最初にその話題が出るから、逆にこちらから訊いたんですよ。「チャーリー・シーンがタレ込みしたらしいけど、ホントにFBIは動いたの?」って。そしたら「動いた」と言うんですよ。だから「FBIの連中と会わせてくれ、オレはハリウッドの映画が好きだから」って言いました(笑)。あっちもジョークと受け取って笑ってましたけど。

——当時、この作品を巡って裁判に巻き込まれたりは?

裁判までは行きませんでしたが、色々と大変でした。まず当時、宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件が起きたんです。それをニュースで知った視聴者が、犯人は『ギニーピッグ2』を観てマネしたんじゃないかと思ったらしく、この事件の管轄だった深川警察に知らせたらしいんですね。それで深川警察から連絡が入り、「犯罪者の心理について話を聞きたい」と。私は了解し、プロデューサーと2人で数日後に伺う予定だったんですが、その前に犯人の宮崎勤が捕まった。そして彼の部屋から実際にギニーピッグシリーズのビデオが見つかった。でも見つかったのは『ギニーピッグ4』で、私とはまったく関係のないビデオだったんですが、運が悪いことに深川警察は犯人逮捕の直前に『ギニーピッグ2』を観ていた。ましてやギニーピッグがシリーズ物だなんて彼らは知る由もないから、ギニーピッグが見つかったと聞いて、彼らはてっきり『ギニーピッグ2』だと思い込んでしまったんでしょう。それで深川警察は報道陣に誤った発表をし、その日の夕方にその誤報が一斉に流れてしまったんです。

——それはあり得ないですね。

私も納得がいかないので、事件が落ち着いた頃に深川警察へ行ったんです。「ホントに『ギニーピッグ2』があったのかなかったのかハッキリしてくれ」と。そしたら当時の刑事がこう言ったんですよ「なんでそんなこと今更気にするんだ、あれだけ話題になって儲かったんだろ?」とね。冗談じゃないですよ。私は雇われ監督だから、いくら売れようが関係ない。そのうえ、「個人的にはアダルトの方がよっぽど教育的だ」とまで言われましたね。他にも、私は最初からこれを作り物と公言して製作していたのに、木村太郎はニュースでこの作品の一部を流した。こっちは年齢制限を設けたうえで世に出しているわけですから、当然テレビでの放映なんて想定していませんよね? それをテレビで流すなんて。常識を疑いますよ。おかしいですよね、事件の直後だというのに。それこそ非常識ですよ。

——その事件はマンガの仕事にも影響しました?

しました。予定していた単行本が3、4冊あったんですけど、発行差し止めになっちゃいましたね。それからギニーピッグシリーズで他にもストーリー性の強い『マンホールの中の人魚』という作品を当時撮ったんですが、その劇場用の映画版を作る話も持ち上がっていたんですよ。撮影の準備も始めていた段階だった。私にとって初の映画だし、とても意欲があったのに、ちょうど撮影に入る直前にあの事件が起きて。それで製作会社にマスコミが駆け込んでしまったから、これはもうダメだということで映画の話もなくなってしまった。

——『ギニーピッグ2』には〝この作品はフィクションです〟みたいな表記がなかったと思いますけど、今ならそういう表記がないと大騒ぎになるような内容ですよね。それこそ、ホントにスナッフが存在するんじゃないか?と思ってしまいそうです。

いや、実はフィクションって書いてあるんですよ。仕掛けがちゃんとあって。最後のテロップが流れ終わってから30秒黒みが続くんですが、その後に〝なにからなにまで全てフィクションです〟 という注意書きが出てくるんです。普通はそこまでまず観ないけど、それをすぐ入れたら面白くないんでね。そこも含めて作り物なんだから、そこは遊ぼうよと思って。

——それは気づきませんでした! それから男は画面に向かっていちいち話しますよね、「次はココを切る」みたいに。日野さんのマンガでも、キャラが読者に向かって「オマエも死ぬ!」とか言うじゃないですか。だから男がしゃべる毎に「オマエも死ぬ!」と言われているような気がして。画面を越えた恐怖を感じました。

セリフなしでただ流すだけでは、単なる客観的な映像で終わってしまう。しかし男に説明をさせることで、観る側と繋がりができる。要するに、もう1人共犯がいる、という設定なんです。それこそ観ている人は、現場を映しているカメラマンなんですよ。そういった感覚で、閲覧者と擬似対話している感じになるかなと。

——こういった映像を見て思い出すのは、テロ組織による殺人映像です。彼らもまた画面に向かって話しかけ、そしてカメラの前で人を殺す。それこそ、その映像を観る人全てを共犯者に仕立て上げるかのような撮り方をしています。だけどそうした映像がネットを介して世の中に流れるようになったのは極最近のこと。『ギニーピッグ2』は、そういった映像の使い方を予見するような映像作品でもあったと思いますが。

当時そんなビデオはありませんでしたからね。だから初めは、オレのビデオを観たんじゃないかと思ってドキッとしましたよ。でも現実とフィクションは別次元の話ですから。どんな理由があるにせよ、彼らがしていることは許せることではありません。政治に関しては言っても仕方ないのであまり言いたくはありませんが、正直アメリカが悪いと思いますよ。あそこまで彼らを追い詰めたのは。東洋まで巻き込んで欲しくないですよね。

——『ギニーピッグ2』では最後に、女の子の目をえぐるシーンをクローズアップで撮ってますね。あれはもしかしてルイス・ブニュエルとダリによる映画『アンダルシアの犬』の影響ですか?

それは観てませんね。あれは役者がテンション上がってやったことで。あそこまでは私も演出してないんですよ。でも本人は役に入っちゃっていたから、ストップをかけずに観ていたんです。やるぞやるぞやるぞやるぞ!ってね。

——それから撮影後に現場近くでベッドを捨てたのが原因で大変なことになったと聞きましたが。

そうそう、スタッフが撮影後にベッドを荒川に捨てちゃったんですよ。そしたらタイミング悪いことに、丁度その頃荒川でバラバラ事件があって。死体の部位が発見されたりしていたんですね。そこにベッドを捨てちゃったモンだから、エライ騒ぎになったみたいで。川口警察署から呼び出し食らいました。

——……ずっと気になってたんですけど、ここ(日野さんのアトリエ)にはリクガメがいますね。

6、7年くらい前になりますね。私は生き物が好きだから、ストレス解消も兼ねて近所の熱帯魚屋まで時々見学へ行っていたんですね。その時初めて見たんですよ、リクガメを。こんな生き物がいるんだ!と思って。或る1匹は見つけた時、もう死にかかってて。エサは食わないわ、目は開かないわ。ウロコは剥がれているし。そのままじゃ死んじゃうから、自分なりになにか出来るんじゃないかと思って、連れてきました。そして温浴させて、水を飲ませて。その後レタスを口元まで持って行ったら、これが食べたんですね。リクガメフードもまぶしてあげたら食べて。コレで大丈夫だ!と。それから段々と元気になっていきました。それを亀オタクの仲間に話したら喜んじゃって。「じゃああげます」と言われてもらってきたのばかりですよ。最初は小さかったのに段々みんなデカくなってきたから、私の仕事机の上にケージを自作して。仕事の机が取られちゃいました(笑)。