深瀬昌久『久し振りの多重露光 だが、一回きりにしようと思う』(「カメラ毎日」1980年3月号、撮影記「烏・夢遊飛行」)

 かねてから興味あるアメリカ写真家の一人だったJ・N・ユールズマンの個展が、昨年10月に私の母校日大芸術学部で開かれたので見に行った。彼の写真はすべて暗室の合成技術によって作られたもので、私には写真そのものよりも、そのマチエールを活かした技術に興味があった。在校生対象のワークショップが開かれたと聞くが、機会があったらその受講生から教わりたいと思っている。だが人間のすることだから、そう複雑怪奇なことをしているわけでもあるまい、種がわかれば手品と同じで案外簡単なのかもしれない。

 もう20年も前になるがフォトグラムとかモンタージュに凝った時期があった。本誌に初掲載になった62年2月号の「変身」は自作自演のネガ重ねによるものだったし、62年の連載「カラー・アプローチ」は4✕5カラーでの多重露光だった。その後も70〜73年の「A・PLAY」でも35ミリの多重露光を試みたものがあるが、以後すっかり飽きてしまっていたのが、別にユールズマンに刺激されたというのでもないが、またなんとなく重ねてしまった。

 だがこれは一回こっきりにしようと思う。何故なら私は割合凝り性なので、重ねをやり出すと、だんだん見せるための抑制がきかなくなって、過剰に、そしてひたすらグロテスクになっていくにきまってるのだから。なにか酒に似ている、酔っぱらうにつれてロレツが怪しくなり、ついにメロメロと何やってるのかわからなくなる。

 さて「鳥」の連作も足かけ4年目に入ったわけだが、今回の撮影のためにいままで四ツ切にアラ伸ばししてあった黒白写真約700枚を改めてひっくり返してみて、モンタージュの素材を10枚ほど選んだ。指紋は未現像のフィルムを定着して素通しにし、黒のスタンプインクで左手の親指の指紋を取り、ネガとした。シャボン玉は以前コマーシャル用に4✕5で写してあったのを二種類選び、眼を閉じた自写像は6✕6のカラーポラで写した。これで素材はそろった。カメラにマイクロレンズ、他ゼラチン、黒紙、三剛、電球、フィルム……あとは複写するだけである。

 フィルムをカメラに入れる際、フィルムパーフォレーションをスプロケットのギアに、フィルム送りを巻き上げておいて合わせ、ダーマトで印をつける。そして裏ブタは開いたままでギアとパーフォレーションのカミ合う位置に印をつけながら5枚ほど空切りをする。多重露光では、同一のフィルムに何回露光してもフィルムがズレないようにすることが絶対条件なので、私の場合5枚は必ず空切りするが、第一露光を1本通し終わったら先端をスプールに引き込まないように巻き戻さなければならないからワインダー類は使えない。くどいようだがフィルムがズレてはなにもならないので、これには一種の慣れがいると思うから、フィルム1本無駄にして納得いくまで練習してみることである。

 このシリーズでは、(1)の太陽だけが実景で、(5)(6)のシャボン玉は4✕5カラーからのビュアーの上での部分複写、(9)の顔は6✕6のポラカラー、後は全紙と四ツ切の黒白写真を使用している。(3)、(8)が二重露光、他は三重露光であるが、このテの撮影で一番やっかいなのがそれぞれの露光のバランスなので、いろいろ組み合わせを変えてみるしかないし、色の重なり具合にしても同じことがいえる。

 粒子をカチッと出すべきか、ブラして流動感を狙うか、ボカして立体感を出すか、ようするに1枚のフィルムに、いかにイメージを定着させるかを、手さぐりしているようなものである。